3/30に離婚を切り出され、ようやく子どもたちに会うことができました。
もともと、春休みは、夫婦お互いの実家である、奈良と滋賀に帰省をする予定を立てていました。
子どもたちも、毎年カレンダーに書き込んで楽しみにしていることです。
今回は先に、夫の実家である滋賀県に、3/27から予定通り子どもたちは帰省していたのですが、、、途中、離婚の話が出てきて、結局そこから私は13日間、2人の子どもたちに会うことができませんでした。
今日、子どもたちに会って、「あーやっと会えた」と心の中で言いながら、二人を抱っこしました。
離婚を切り出されてから3日後、私から夫にお願いをしていたことがありました。
「子どもたちには、離婚のことをまだ話さないでほしい。」
電話でそれだけをお願いしました。
まだ、整理のつかない頭で考え、子どもたちに当分どのように話しておくべきか、心配は子どもたちの気持ちだけだったからです。
「私にも心の整理をさせてほしい。そうしないと、子どもたちに不安や恐怖が伝わってしまう。それでなくても、新しい生活に不安があるはずで、これ以上不安を増やしたくない。だから、この出来事を、自分の中で整理をし、自分の言葉でちゃんと説明ができるまで、待ってほしい。この選択でよかったんだ、これでやっていける、そう私が心から思えるまで、待ってほしい。」
そう理由も伝えていました。
なので、子どもたちに久しぶりに会ったときにも、少し長く帰省をして会えなかっただけ、という風に、なんでもないふりをしなければと思っていました。
ちゃんとできていなかったような気がします。
上の子の「さんかく」は、なぜか涙ぐんでいました。手を広げると、抱きついてきました。
「急にどうしたの?」
「久しぶりに、お母ちゃんに会えたから。」
泣いてしまいそうになったけれど、努めて、明るく「何言ってんの、いつもここにいるやんか。」と、精一杯返しました。
普通に晩御飯を食べました。
普通にお風呂に入りました。
普通に布団に入って寝ました。
そのどれもが、もう私には「普通」ではありませんでした。
きっと、この日の「普通」を忘れることはないと思います。日常の、変わらない、むしろ退屈で、大変で、時に窮屈にも感じていた、この「普通」が、いかに「特別」な出来事であるのか、今の私にはよく分かります。
続きは、息子の「さんかく」が、この後、眠れず、私「しかく」と、おしゃべりしたことを書きたいと思います。
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