今日、4月9日、子どもたちと再会した時のことを書こうと思います。
これまでの経緯は、
私は仕事があり、帰省せず、夫とさんかくん、まるちゃんの3人で帰省する
一軒家に、離婚の内容が書いた手紙を持って、夫だけ帰ってくる
子どもたちは、義理実家に滞在したまま
一軒家には戻らず、夫の別居先のアパートで子どもたち二人は一泊する
子どもたち二人が、一軒家に帰宅する
もともと、春休みは、夫婦お互いの実家に帰省をする予定を立てていました。
子どもたちも、毎年カレンダーに書き込んで楽しみにしていることです。
夫の実家に3/27から予定通り子どもたちは帰省していました。
途中、離婚の話が出て、私の実家への帰省は無くなり、結局そこから私は13日間、2人の子どもたちに会うことができませんでした。
夫から手紙を渡されて、そこに書いてあった内容から、私が自分の置かれた状況について、この時理解していたことは、以下のようなことでした。
- 離婚には同意するということ
- しっかりとした収入がある夫が親権を持ち、私は子どもたちと離れて暮らすことになるということ
- 半年以内に一軒家から、子どもたちを置いて出ていくこと
- 私は、少しでも近くに住むために、賃貸を探すこと
- 賃貸を借りるために、正社員の職を探すこと
これは、私が自分を理解した内容でもあり、夫から求められたことでもあります。
不安で、不安で、たまりませんでした。
お金のこともそうですが、子どもたちと住めなくなるんだなということが、あまりに衝撃で、何も考えられませんでした。
でも、一人でいると考えることは、子どもたちの気持ちのことでした。
離婚を切り出されてから3日後、私から夫にお願いをしていたことがありました。
「子どもたちには、離婚のことをまだ話さないでほしい。」
電話でそれだけをお願いしました。
まだ、整理のつかない頭で考え、子どもたちに当分どのように話しておくべきか、心配は子どもたちの気持ちだったからです。
「私にも心の整理をさせてほしい。そうしないと、子どもたちに不安や恐怖が伝わってしまう。それでなくても、別居という新しい生活に不安があるはずで、これ以上不安を増やしたくない。だから、この出来事を、自分の中で整理をし、自分の言葉でちゃんと説明ができるまで、待ってほしい。この選択でよかったんだ、これでやっていける、そう私が心から思えるまで、待ってほしい。」
そう理由も伝えていました。
なので、子どもたちと再会したときにも、少し長く帰省をして会えなかっただけ、という風に、なんでもないふりをしなければと思っていました。
ちゃんとできていなかったような気がします。
上の子の「さんかくん」は、なぜか涙ぐんでいました。
(後から分かったことですが、この時には、すでに、こうした別居のことについて、夫から話を聞いていたようです。でも、私は知りませんでした。関連記事については、こちら↓)
手を広げると、抱きついてきました。
しかく「急にどうしたの?」
さんかくん「久しぶりに、お母ちゃんに会えたから。」
泣きそうでした。
もう一緒に住めなくなるんだなと思うと、胸が張り裂けそうでした。
でも、努めて明るく、
「何言ってんの、いつもここにいるやんか。」と、精一杯返しました。
その後、
普通に晩御飯を食べました。
普通にお風呂に入りました。
普通に布団に入って寝ました。
そのどれもが、もう私には「普通」ではありませんでした。
きっと、この日の「普通」を忘れることはないと思います。
日常の、変わらない、むしろ退屈で、大変で、時に窮屈にも感じていた、この「普通」が、いかに「特別」な出来事であるのか、今の私にはよく分かります。
続きは、息子の「さんかくん」が、この後、眠れず、私「しかく」と、おしゃべりしたことを書きたいと思います。
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