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ありふれた「普通」が 忘れられない「特別」になった日

 今日、4月9日、子どもたちと再会した時のことを書こうと思います。


これまでの経緯は、

離婚を切り出されてから今日まで
経過
2024年3月27日 子どもたちが予定通り夫の実家に帰省する

私は仕事があり、帰省せず、夫とさんかくん、まるちゃんの3人で帰省する

経過
2024年3月30日 夫が離婚を切り出す手紙を持って帰ってくる 

一軒家に、離婚の内容が書いた手紙を持って、夫だけ帰ってくる
子どもたちは、義理実家に滞在したまま

経過
2024年4月8日 義理実家から、3人はアパートに帰宅

一軒家には戻らず、夫の別居先のアパートで子どもたち二人は一泊する

経過
2024年4月9日 子どもたちと再会する

子どもたち二人が、一軒家に帰宅する



 もともと、春休みは、夫婦お互いの実家に帰省をする予定を立てていました。
 子どもたちも、毎年カレンダーに書き込んで楽しみにしていることです。
夫の実家に3/27から予定通り子どもたちは帰省していました。
途中、離婚の話が出て、私の実家への帰省は無くなり、結局そこから私は13日間、2人の子どもたちに会うことができませんでした。

夫から手紙を渡されて、そこに書いてあった内容から、私が自分の置かれた状況について、この時理解していたことは、以下のようなことでした。

夫からの手紙を受けて、私の頭の中にあったこと
  • 離婚には同意するということ
  • しっかりとした収入がある夫が親権を持ち、私は子どもたちと離れて暮らすことになるということ
  • 半年以内に一軒家から、子どもたちを置いて出ていくこと
  • 私は、少しでも近くに住むために、賃貸を探すこと
  • 賃貸を借りるために、正社員の職を探すこと

 
これは、私が自分を理解した内容でもあり、夫から求められたことでもあります。

不安で、不安で、たまりませんでした。
お金のこともそうですが、子どもたちと住めなくなるんだなということが、あまりに衝撃で、何も考えられませんでした。

でも、一人でいると考えることは、子どもたちの気持ちのことでした。

離婚を切り出されてから3日後、私から夫にお願いをしていたことがありました。
 
「子どもたちには、離婚のことをまだ話さないでほしい。」

電話でそれだけをお願いしました。
まだ、整理のつかない頭で考え、子どもたちに当分どのように話しておくべきか、心配は子どもたちの気持ちだったからです。

「私にも心の整理をさせてほしい。そうしないと、子どもたちに不安や恐怖が伝わってしまう。それでなくても、別居という新しい生活に不安があるはずで、これ以上不安を増やしたくない。だから、この出来事を、自分の中で整理をし、自分の言葉でちゃんと説明ができるまで、待ってほしい。この選択でよかったんだ、これでやっていける、そう私が心から思えるまで、待ってほしい。」
 
そう理由も伝えていました。
 

 なので、子どもたちと再会したときにも、少し長く帰省をして会えなかっただけ、という風に、なんでもないふりをしなければと思っていました。
ちゃんとできていなかったような気がします。

 上の子の「さんかくん」は、なぜか涙ぐんでいました。
(後から分かったことですが、この時には、すでに、こうした別居のことについて、夫から話を聞いていたようです。でも、私は知りませんでした。関連記事については、こちら↓)


 
手を広げると、抱きついてきました。


しかく「急にどうしたの?」

さんかくん「久しぶりに、お母ちゃんに会えたから。」


泣きそうでした。
もう一緒に住めなくなるんだなと思うと、胸が張り裂けそうでした。

でも、努めて明るく、

「何言ってんの、いつもここにいるやんか。」と、精一杯返しました。

 その後、

 普通に晩御飯を食べました。
 普通にお風呂に入りました。
 普通に布団に入って寝ました。

 そのどれもが、もう私には「普通」ではありませんでした。

 きっと、この日の「普通」を忘れることはないと思います。
日常の、変わらない、むしろ退屈で、大変で、時に窮屈にも感じていた、この「普通」が、いかに「特別」な出来事であるのか、今の私にはよく分かります。

 続きは、息子の「さんかくん」が、この後、眠れず、私「しかく」と、おしゃべりしたことを書きたいと思います。

 

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