離婚という言葉で
このブログを始めて
離婚について
これからも書いていくことになると思います。
でも、離婚を切り出されてから何日経つんだろう、、、
数えてみたら151日(おおよそ5ヶ月)でした。
4、5月は、
夫がが求めてきた条件
・子どもたちを交代で監護するということ
・私は子どもたちを置いて出て行かなければならないということ
その二つから、
恐くて恐くて、頭の中は、お金のことでいっぱいでした。
節約をしなければ
住む場所も調べておかなければ
公的補助を受けられるか調べなければ
その中で、夫との話し合いは無理だと弁護士の先生と判断し、離婚調停を起こすことになりました。
6月は、
ブログが書けなくなりました。
言葉が出てこない。
頑張れない。
これまでに書いてきたように書くこともできるけど、今の自分には、それは嘘になるような気がしました。
多分、「しかく」としてブログに向かい、「今頑張っています」というような記事が書けなくなってしまっていました。
頑張れませんでした。
きっかけは、調停に出す書面を書いた頃だったと思います。
耳鳴りと左の背中が痺れる、手が震える、動悸が止まらない、息ができない、、、
そうした身体が壊れるようなことが、次から次へと起こるようになりました。
仕事に行けない日も何日か出てきてしまいました。
パートを休むと、次月の収入に直接響くので、仕事を休むことだけはしたくないと思っていましたが、吐いてしまうため、休まざるを得なくなりました。
決定的だったのは、
夫が弁護士を通して書いてきた書面を読んだ時でした。
そこに書いてある「私」の人物像に、かなりのショックを受けてしまいました。
虐待をしているモンスターのように書かれていました。
目も背けたくなるような内容で、でも反論書面を書こうと思うと、しっかりと読み込んで、そうではないといったことを書かなければなりません。そして、私が、「子育てを助けて欲しい、一人ではもうできない」と、夫に助けを求めたメールでさえ、子育てができなくて虐待をしていた母親だという証拠として提出をしてきていました。もう随分と前から、夫は味方ではなかったんだなと、気付かされるようなことがたくさん書いてありました。
その内容が、グッと心の中に入ってしまいました。
そこから、食べられないのと吐くの繰り返し、自分の中が空っぽになって、生きているけど死んでいるような状態だったかなと思います。
でも、そんな状態を、子どもたちに見せてはいけないと思い、毎日変わらずご飯を作り、一緒に隣で食べはするのですが、全部吐いてしまっていました。
7月。
動けなくなった体で、夜も眠れないし、ブログも書けないし、何にも出来ない状態で、寝転がっていたら、
これまで自分が頑張ろうとしていたことは合ってたのかな
今頑張るって言ってやってること 本当に自分がやりたかったことなんだろうか
私はこんな人間だっただろうか
全部違ったんじゃないかな
ってふと気づいた瞬間があって
なんとも言えない不快感、拒絶した感覚がたくさんあったことを思い出したんです。
年金生活に入っている両親から、生活費の足しにとお金を受け取ったとき、
私はこんなことをさせるために大きくなってないと思ったし
ブログを作ってくれて、会ったこともないカタさんに、「これからですよ!」って言ってもらったときも、
自分が一番大変なような顔して甘えてるなと思ったし
ガーデンさんにご飯を作ってもらって食べさせてもらったときも、
こうして支えてもらって心配ばかりかける人になりたくないと思ったし
そうして色んな人のお金や時間や想いをもらいながら
どこかで「自分は大変なんだから、これくらいでいいし、してもらったらいい」
そんなふうに思っている自分がいたような気がするんです。
頑張っているつもりでしたが、でもその頑張る方向が違った気がするし、
こんな子どもたちとの生活がかかった大事な場面において、逃げようとしていた甘えようとしていたんじゃないかな
そんな自分に気づいたとき
「ふざけるな何やってんだ あーいやだ」
そう強烈に思ったんですね。
こんなに自分が嫌になったのは、生まれて初めてかもしれない
それくらい、自分のことが嫌で嫌でたまりませんでした。
同時に
もうこんな自分はもうやめて
応援してもらうなら
離婚の自分ではなく
本来の自分を応援してもらおう
だから
離婚だのなんだのは、私の人生の葉っぱの部分でしかない
私は、これからは、もっと自分の人生を進む
離婚は、私の飾りに過ぎない
離婚は、通過点に過ぎない
離婚は、自分の人生のなんの支障にもならない
という自分にまで押し上げてやろう、そう強く思っている自分が出てきました。
ご無沙汰をしてしまい
心配をお掛けしてしまいました
子どもたちは元気です
また
元気な様子をお伝えします
下のランキングボタンを押して、ぜひ応援してください❤️