昨日は、法律事務所に相談に行ってきました。
法律事務所は、これで3件目です。ネットで、「京都 離婚 弁護士」とキーワードを入れて、調べました。
こんなにたくさんあるんだと驚くほど、検索結果はたくさん出てきました。
事務所に電話をかけ、「離婚をしたいという内容の手紙を夫から渡されたのですが、まずは、無料相談に伺いたいのですが」と言いました。
すると、以下のようなことを、事務員さんに聞かれました。
・自分の名前と生年月日
・夫の名前と生年月日
7件電話をかけましたが、無料相談が無い事務所を除いて、3件の事務所とすんなりと予約日時が決まりました。私はこれまでの経緯を整理しなくちゃと、パソコンで整理をし始めました。
離婚を切り出された日の3/30は、こんな日でした。
【3月30日土曜日】
夫と子どもたち二人は、夫の実家である滋賀に帰省をしている予定でした。
なので私は、自宅に一人でおり 新学期の準備として、息子に頼まれていた無印の家具を組み立て、庭に敷き詰める芝生を買って庭いじりをする予定でした。
芝生を買い終えて手を洗おうと洗面所に行くと、脱衣室にあったはずの夫の衣装ケースのみが、ごっそり無いことに気づきました。二階のウォークインクローゼットを見に行っても同様で、夫の衣装ケースの数個とアウター、玄関も見に行くと靴もありませんでした。
ドキドキして、義母になんかあったんだろうか、、、義理実家の滋賀で住まなければならない何か事情ができたんだろうか、、、
夫に、メールをしました。
「洋服が無いんやけど、どうしたんやろ、、、こわいんやけど」
するとちょうど玄関が開き、夫が入ってきました。
庭には、彼のお姉さん(義理姉)の車があり、私はお姉さんに手を振り「久しぶり~」と声を掛けました。
夫は「座って、ちょっとこの手紙を読んでほしい、うまくしゃべれないから」と白い封筒を渡してきました。
封筒には、
A4用紙5枚が入っていて、パソコンで打たれた文章がありました。
「落ち着いて読んでください。」
「離婚しましょう。」
冒頭を読みはじめたところで、ズキンと心臓がなって、手が震え、息が苦しくなっていました。
取り乱すことなく話をしなくちゃと思いながらも、体がガタガタ震えていました。
手紙にはこのように書いてありました。
・親権は夫が持ち、今後の養育費(進学費用、入院費用なども含めた生活費)についてはすべて彼が負担するということ
・夫名義のローンを組んだ一軒家は、彼が今後住み続け、私は3か月以内に出ていってほしいということ
・子どもたちの生活は、週の半分ずつを私と夫の家で過ごすこと。たとえば、4日が夫のお家、3日が私のお家、という風に。そうした二重生活をするのが子どもたちのためになると考えていることと、その際にかかった実費(食費など)はお互いが負担すること。
・そうした二重生活のために、私は子供たちが徒歩で向かうことができる場所に新しい住居を探すこと
・そして、私は経済的に自立するために、正社員の仕事に就くこと
・そうして、私が自立するまでの間の3か月は、生活費として15万円を渡し、ローンも夫が払うこと。そして私が退去後、なお生活が厳しければ、もう3か月は10万を渡すということ。
どれもが私には選択権の無い内容で、とても残酷だなと恐ろしいことを言うんだなと思ったのが初めの気持ちでした。
私が出ていってどこで生活をするのか、なぜそれを夫が決めるんだろう。
そして、子どもたちの気持ちを聞かずに、子どもたちの生活をなぜ夫がこんな風に決めるんだろう。
今後こうしたいよという夫の気持ちとしてなら少しは聞けたし話し合おうと思うのですが、そうしたニュアンスは私には感じられませんでした。私や子どもたちの生活を具体的に書いているということがとても変な感じがしました。変な感じというのは、まるで支配されているようで、夫が描いている生活のための私は一つの道具であり、子どもたちも夫が出ていった影響を受け生活を変えなければならない。それを夫は、何の違和感もなく、当然のことのように言っている。私や子どもたちにも気持ちがある、ちゃんと独立した人間だということが尊重されず、こうしなさいああしなさい、とまるで命令してくるようで、話が全く頭に入ってきませんでした。
机を介して目の前に座っている夫に、私は言いました。
「離婚は分かりました。夫婦関係については、修復はできないと思うし、そういう意味では私も離婚に同意します。でも、これからの生活のことやお金のことは、話し合う必要がある。子どもたちが二重生活になることも、両親に会えるという意味ではよい形だと思うけれど、費用のことなど、曖昧で、私に負担が大きいと思う。でも、子どもたちのために、私は住む場所を探します。正規職員になるように就職活動も始めます。」
そして、最後に、
「離婚を考え直すことはないの?これだけの大きな決断ができるなら、やり直そうと頑張ることもできるんじゃないの?」
と言いましたが、夫の答えは、いやだという答えでした。
夫は、「じゃあ、荷物運び出すね。」そう言って、義理姉と荷物を運んでいました。
私は、まずは両親に話をしなくてはと思い、奈良の実家に電話をし、今日は傍にいてほしいと頼みました。
両親はすぐに来てくれました。当然のことながら、大変なショックを受けてしまいました。離婚の条件をこのままのむわけにいかないし、子どもたちがこんな行ったり来たりの生活をすることや、生活費のことなど、あまりに曖昧で勝手で、こんな言い分が通るはずがない、と言っていました。でも、私は、そうした両親の意見でさえ、自分の娘だからそんなことを言うんだ、私は早く出ていかなければならないし、住む場所を見つけて就活もしなければいけない、すぐに動かなければいけないんだ、と思っていました。とても、夫からの手紙が怖かったからだと思います。
次の日、両親が帰った後、暗くなってきて、あまりに孤独を感じてこわくて、私はパソコンにこんなメモを書いていました。
なぜ今こんなことを書いているのか
正直なところ こわくてたまらないからだと思います
これからの自分にどんなことが起きるのだろうか
1人で生きていけるんだろうか
胸が張り裂けそうで ずっと今書きながら 手が震えています
みぞおち辺りがずっと痛い
手紙ことや 当日の景色を 思い出すだけでも 息が浅くなります
離婚を言い渡されてから2日が経ち
一つ一つ整理していくしかない
本当は自分の殻に閉じこもっていたいけれど こどもたちのために頑張るしかない
そう思うようにしています
そう思います!と言えるほど 自分は強くなかったということが今は痛いほど分かります
書きながら
誰に向かって書くんだろう 何のために書いているんだろう
そう思いながら書いているうちに だんだんと
私が前に進むことを皆さんに見てほしいと思っているな
見てもらえると思うだけで 一人ではないと感じてくる
自分がそう感じていることに気づきました
そして
同じような境遇の方が居るんじゃないかな
また 同じような境遇でなくても しんどいけど前に進まなければいけない
でも自信が無い 頑張れない気がする
そんな風に私と同じ気持ちの方がたくさんいるんじゃないかな
心細いだろうな
苦しいだろうな
そんな人たちのために、自分の経験を役立てもらえるんじゃないかな
一歩踏み出せるヒントになったり
一緒に前に進める方もいるんじゃないかな
それは私には ご褒美のようなことだけれども 自分のこうした経験が少しでも誰かの励みになればと思い
これから書いていきたいです
この選択が
決して失敗ではなく
自分も子どもたちも幸せになるための 最善の選択肢だったと思えるように
これから進んでいきます
私は一歩ずつ 前に進みたい
皆さん 見ててください
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